コラム

ラストサムライ (2/3)

奇跡的に生還したサムライ、デンパチローは酒とともに無為に生きたらしい。生活のため下駄屋を始めた曾祖母に「サムライが履物など扱えるか」と言い続けたという。しかし元サムライの妻の商法は成功したようだ。 デンパチローに忘備録の類はないが、子だけは生した。そのひとり、わが祖父は次男である。サムライの身分は消滅したとはいえ、祖父の幼少年時代は「サムライの子は云々」という規矩はことあるごとに示されていたのではなかろうか。痩せても枯れても呑んだくれであっても、死中に活を得てしまったサムライの一言なり一分なりの口伝があって欲しかったが、奇跡はデンパチローに重すぎたのかもしれない。唯の人は運命に謝することもなく、ただ生き延びたわけだ。知る限り、祖父にサムライの血と教えが色濃く伝わったとは思えない。 旧来の仕来り通り、家督は長男となり、祖父は学問を授けられた。帝大出の官吏となったが、よほど問題があったのだろう。出世には縁遠かった。自らを「神経過敏」と称していた。書棚には漱石と吉川英治があったけれど、読書する姿を見たことはない。いつも時間をかけて新聞二紙に目を通していた。手帳に書き物をしていたが、不覚にも、祖父の死後残しておくことをしなかった。この祖父のぼくにたいするしつけは竹の物指で手の甲を叩くことだった。自分が泣き虫だったことはよく覚えているが「男は泣くものじゃない」とは言われなかった気がする。 風邪をひいて寝込んだある日、押入れにあるはずの短刀を出してくれと、祖父はしきりに母に頼んだという。埃がたつから風邪がなおってから探しましょうと答えたその翌日、彼は亡くなった。死出の守り刀にしたかったのだと、遅ればせに気づいたが、棺の上には果物ナイフが代用で置かれた。いざというとき切腹もできないと、残った者たちは無情なことを言った。唯一、サムライらしき話ではある。 祖父には早世した子が一人いたそうだが、長じたのは三人。男二人、女一人の三人の子どもの二十歳のころの写真はお互いそっくりである。十九になる前結核で亡くなったという伯母の顔は父が女装したかと思うくらいだ。デンパチローの顔の骨格が伝わるのはこの三人までで、ぼくの頭蓋骨は別系統の血を受けた。父は一卵性双生児だったから、男二人の顔は見分けがたく、空手の型を演じる稽古着姿の青年の写真をぼくは父と見誤った。それは慶応大学で空手部の主将を務めたという伯父であった。伯父は学徒動員で海軍に召集され対空砲士官として空母「雲竜」に乗り、船は航行中米軍の機雷に触れ轟沈したという。三千人の乗員の大半が亡くなり、伯父もその中にいた。少しずつ薄まっていくサムライ・デンパチローの血はどちらかといえば、この伯父に多く伝わっていたような気がしてくる。 早稲田に進んだわが父は肋膜が幸いして軍隊行きを免れた。父は戦後になって何度か「戦死したと聞いたが生きていたのか」と町で声をかけられたそうだ。 出撃前に一時帰省した伯父は父に「日本は必ず負ける。兄貴は身体が弱いのだから絶対に軍隊に取られるな」と繰り返したという。声なき声などというものはない。一人ひとりの声があるのだ。なけなしの艦船を集めた最後の連合艦隊兵士ならずとも、昭和19年ともなれば、多くの者たちがしのびよる敗北を予感していただろう。そうでないのは、強い祖国と大人の言葉を信じたい軍国少年だけだった。 デンパチローの曾孫たるぼくが遊学を終え、就職のため面会した出版社の社長はぼくの名と顔を見て絶句した。彼は慶応大学の空手部で伯父の後輩だったという。おまけに海軍に入り、カッター訓練用に配られた合羽には伯父の名前があった。 「なんということだろう。君が双子のお兄さんの子どもというわけか。君の伯父さんの突きは鋭かったよ」と言った。「わだつみの会」の理事の一人だったこの社長に請われて、父の手元にあった伯父の手紙が会報に掲載された。投函せずに手渡された手紙だったのだろう、そこにも「日本必敗」の文字があった。

コラム

ラストサムライ (1/3)

数十年ぶりに脚光を浴びることとなったジョージ・オーウェルに呼ばれて、あの人のことを思い出した。 センバ・デンパチロー・タダマサ。 曽祖父の名だ。子供の頃住んだ洋間の壁に、紋付袴二本差しのデンパチローの写真が掛けられていた。二十歳を少し過ぎたくらいだろうか。写真機に向かって斜めに腰掛けた彼は、いささかやんちゃな感じの口を引き結んでいる。首には白い布が巻かれていた。伊予松山藩士だったデンパチローは西南戦争に従軍し、西郷軍の銃弾が喉を貫通したのだと祖父から聞かされた。 「弾丸が首を貫通したと知って、すぐに私はもう駄目だと観念した。人間でも動物でも弾丸が首の真ん中を通り抜けてなお生き残るなどという話は、一度も聞いたことがなかった・・・・・・自分が死ぬと思ったのは、およそ二分間くらいだったに違いない。そしてそれがまた面白い――そんな時に人間の考えることがどんなものであるか、それを知ることが興味深いという意味である」と書いたのはジョージ・オーウェルである。義勇軍兵士としてスペイン内戦に参加した彼は、塹壕でファシストの狙撃兵に撃たれたのだ。 オーウェルのルポルタージュ『カタロニア讃歌』でこの文を目にしたときはじめて、ぼくはヒイジイサンが拾った命を思い、辛うじて落とされずに自分まで手渡されたバトンの重さに気づかされた。小学生のころはたぶん、「うちはサムライの家系だったんだ」と男の子らしく鼻ふくらませただけだったろう。 「それは午前5時、胸壁の角でだった。その時間がいつも危なかった。というのは、われわれの後ろ側から夜が明けるので、胸壁の上に首を突き出すと、空にはっきりと輪郭が浮び出るからだ」 オーウェルが撃たれたときの状況である。彼は「弾丸にあたった経験は総じて大変興味深いので、詳細に述べておく価値があると思う」として記録を残した。 デンパチローはといえば、彼は若年にして目録を受けていたというから、戦の場では極めてリアリストであったはずで、ガトリング砲に向けて駆け馳せていくサムライではなかったろう。優れた剣客たる要諦は進退を知ることに尽きる。死に際は見事にと期してはいても、徒に死に花咲かせようとは考えなかったにちがいない。それにしても、わが国最後の内戦での経験を彼は誰かに伝えようとしたことがあったのだろうか。 日常的に死があり、錯綜した党派間の確執の中にありながら、オマージュのタイトルにふさわしく『カタロニア讃歌』全編を貫いているのは人間への信頼であり、スペインに対する深い想いである。「にもかかわらず信じる」という眼差しに裏打ちされた文は緻密で潔い。人間の尊厳という精神が息づいている。 ある日、敵の塹壕深く攻め入っていたオーウェルの眼前を慌てた敵兵が走っていった。男は服を着終わっておらず、ズボンをおさえながら血相を変えて駆けていく兵士をオーウェルは狙撃しない。「ぼくはそこへ”ファシスト”を撃ちに来ていた。しかし、ズボンをおさえている男は”ファシスト”ではない」というわけである。 この話は『チボー家の人々』に書かれたエピソードを思い起こさせる。第一次大戦のいつ果てるとも知れず続く独仏の塹壕戦のさなか、夜のパトロールに出たフランス兵士の主人公は道端で眠りこけるドイツ軍兵士を見かける。しかし、フランス人たちは敵兵が目を覚まさないよう、そっと立ち去るのだ。 ロジェ・マルタン・デュ・ガールの大河小説『チボー家の人々』はかつて町の本屋さんでいつでも見かけた。白水社版の「黄色い本」はわが家にも、結婚前の家人のところにもあった。40年以上前のことだから、読書事情は大いに変わる。『チボー家の人々』を読む女学生が主人公の、高野文子のコミック『黄色い本』はじつに素敵な話で、ぼくも幾人かにプレゼントしたが、『1984年』のごとく書店で復活するまでには至らなかった。 今また書店の平台に並んだオーウェルの『1984年』は絶望的な苦さに満ちた本だ。これほど、気の滅入る本は以降読んだ記憶がないほどで、1972年に文庫版で読んだ後、無明の帝国を「体験」させられた痛覚がずいぶん長く尾を引いた。一望監視システムの下で人間はなすすべもなく立ち尽くす卑小な存在であることをいやおうなく突きつけられたのだ。 クンデラの『存在の耐えられない軽さ』やアブラーゼの映画「懺悔」など、粛清、密告、相互不信渦巻くスターリニズムの世界や全体主義の恐怖を描いた錘の深い優れた作品は少なくないけれど、心身を直接抉られることはない。 逃げ場のない閉塞空間は江戸期の一寒村にも、毛沢東がにらみをきかせる成安にも、1986年の都内の中学校にもあった。過去未来を問わず存在し続けるだろう。そのなかにあって、人のこころは壊れる。最愛の人も裏切る。人の暗部に目を縛り付ける近未来小説は途方もなく苦かったのだ。 同じ作家の手になる『カタロニア讃歌』と『1984年』とでは、まったく相反するネガポジの印象がある。「裏切られた革命」とはいえ、スペイン市民戦争は鮮烈な生命力を感じさせ、怒りもまた光り輝いていたように思える。「人民戦線」そのものにロマンティックな響きがあったのかもしれない。なにしろ、『誰がために鐘は鳴る』があり三人のパブロがいて、虐殺されたロルカの名があったのだ。 オーウェルには格好の水先案内人がいる。山田稔のエッセイ「わがオーウェル」(特別な一日―読書漫録)は「細部の観察」にこだわり、なぜ書くかいかに書くかを真摯に問い続けたオーウェルの文の品位(decency)と魅力へのオマージュで、オーウェルへの確かな手引書である。 引用される文は背後に潜む無尽蔵の大鉱脈を暗示する一粒の原石だ。時代の醸す勢いで読んでいたところもある『カタロニア讃歌』を改めて再読したくなるし、取り上げられている「象を撃つ」や「絞首刑」などのエッセイにも手を伸ばしたくなる。