「ぼくの体はbijiでできている」と言ったのは、[「きんりん」十号で紹介した「花すけ」](https://kirinbooks.jp/membership/kinrin/hanasuke/)の高橋健治郎さんである。 花屋さんたるもの、冬の凍える水にも、夏の頻繁な水替えにも負けぬ丈夫な体をもって、いつも大らかに笑っていなければならない。この彼をつくる、美味しくて栄養バランスも申し分なく、飽きがこず値段もリーズナブルな理想の食堂がbijiというわけだ。
長い間、美味しいパンといえばフランスのパンだった。住んでいたパリの五階の部屋から通りに出て、十メートル先の角を曲がり二件目のところにパン屋があった。螺旋階段の乗降を含めて約七分。薬缶の底にびっしりこびりついてしまう石灰のせいで味が締まるのだと言われたネスカフェと買いたてのバゲットが朝食だった。秋冬には窓の外で冷やしているバターを塗った。その繰り返しに飽きることはなかった。
遠い花の記憶は月見草だ。
はじめて入ったそのバーはとても暗かった。「いらっしゃいませ」という声のありかもおぼろだった。街路より店の中の方が暗いのである。学芸大学東口商店街を駅から五十メートルほど進み、路地を折れてすぐのバー。二頭の羊とBAR LAMBの文字が古びた灰色の木戸にあるのを見つけ、引き寄せられて階段を上がってきたのだ。
「いい古書店のある街がいい街だとおもう」(『感受性の領分』)という詩人長田弘の言葉から、わが街の話をはじめよう。

「北欧、暮らしの道具店」さんが木林文庫を紹介して下さいました。以下のURLに掲載されていますので、ご覧いただけましたら嬉しいです。 よろしくお願い致します。
パリの夜を歩き、拾った段ボールに小さな宇宙を描き続けたロベール・クートラス。 《Mes nuits》は、孤独と自由の中で紡がれた“掌の絵画”です。
奇跡的に生還したサムライ、デンパチローは酒とともに無為に生きたらしい。生活のため下駄屋を始めた曾祖母に「サムライが履物など扱えるか」と言い続けたという。しかし元サムライの妻の商法は成功したようだ。
盛岡と仙台の書店訪問に合わせて、花巻の高村光太郎記念館へ。佐喜世の母は光太郎に私淑しており、手紙の返事を貰っていたくらいである。「母を連れてきたかったな」と言いつつ、氷雨の合間を縫って敷地を歩き回っていた。
オリーブ関連の本を引っ張り出している中で選んだ「オリーブの小道で」(今江祥智・宇野亞喜良)。この作品が一昨日見たルイジ・ギッリの写真展で印象深かったモランディに関わるものだった。
数十年ぶりに脚光を浴びることとなったジョージ・オーウェルに呼ばれて、あの人のことを思い出した。 センバ・デンパチロー・タダマサ。
展示最終日に、ルイジ・ギッリの写真展に滑り込んだ。モランディのアトリエで撮影された一連の作品に見入ってしまったが、家人曰く。「私たちはモランディが好きだから、画集を眺めるように、写真に撮られた彼の絵を見ているのではないかしら」と。
多摩美術大学八王子キャンパスのアートテークギャラリーで、日高理恵子さんの退任展「空間と、自然光と、絵と」を見た。
表参道のギャラリーSAOH(砂翁)で石川丘子の木版作品を見た。
東京都現代美術館の岡崎乾二郎展へ。 最初期の型紙からつくられた立体作品に、我が街「たかばん」の名がついていた。