ショーマッカー

きんりん
ショーマッカー

長い間、美味しいパンといえばフランスのパンだった。住んでいたパリの五階の部屋から通りに出て、十メートル先の角を曲がり二件目のところにパン屋があった。螺旋階段の乗降を含めて約七分。薬缶の底にびっしりこびりついてしまう石灰のせいで味が締まるのだと言われたネスカフェと買いたてのバゲットが朝食だった。秋冬には窓の外で冷やしているバターを塗った。その繰り返しに飽きることはなかった。 それから数十年を経た六年前、ベルリンから半日の列車の旅に出た日、駅のキオスクで在住の友人が昼食用にパンを買ってくれた。「ドイツのパンって、こんなに美味しいんですか」と驚く私に、彼女は「知りませんでした? 負けていないでしょ」と笑った。帰りには車内用に、バンベルクの街角のスーパーでボトルワインとソーセージ、そしてパンを買い込んだ。三点セットはどれも申し分なく、その一日で仏独のパンは私の中で並び立ったのだ。 ![ショーマッカー](/images/posts/schomaker/DSC4279.jpg) 学芸大学駅周辺にはパン屋が多い。最近では「高級」を名乗る食パンの店まで増えているけれど、ドイツパンの専門店はまだない。 ところで私たちは、気に入った写真を未だに紙焼きにしている。ある日、DPE屋の女主人が尋ねた。「パンはいつもどこで買っているの」と。子育て時の大量購入以来、我が家のパンの優先順位は価格であり、味のこだわりも原材料へのチエックもおろそかだった。 「クロワッサンはね、そこの路地の店が一番。それから、ちょっと離れているけれど大岡山にドイツパンの専門店があるの。私はたまに自転車で買いにいくけれど、わざわざの甲斐がある味よ」という学芸大駅原住の方のご意見に従ってみることにした。大岡山は私たちの自宅からは徒歩で三十分ほどなので、散歩をかねての探訪に。目当てのドイツパンの店「ショーマッカー」は大岡山駅から放射状に延びる数本の商店街の一つにある。店舗の軒に掛けられたプレッツェルを模った鉄製の看板は美味しそうで、つい手を伸ばして摘まんでみたくなる。棚は正面の窓と片側だけで品数が多くないのは、おかずパンや菓子パンの類を置いていないためだろう。 初日はドイツ産ライ麦五十パーセント、国産小麦五十パーセントの表示があるベルリーナラントと、イチジク、クランベリー、クルミを練りこんだライ麦パンのオプストを選んだ。 ドイツのライ麦パンは見かけ通り持ち重りがする。目が詰まっているので噛み応えがあり、噛むほどに香りが立つ。塗るのではなく食べるというドイツスタイルで、たっぷりのバターを載せるのもよい。そしてさらにビールにも合う。このひと噛みで、散歩コースがひとつ増えた。 自宅からショーマッカーへの道にはいくつか桜並木があるので、花と落ち葉の季節はとりわけ楽しい。目黒通りを越えてすぐの田向公園からの歩道と、碑さくら通りと名付けられたバス通り沿いだ。そして何より、大岡山駅前から広がる東京工業大学の桜は見応えがある。ショーマッカーでプレッツェルを一口大に砕いてガーリックをまぶして焼き上げたツヴィーバックを求め、缶ビールを仕入れての花見が贅沢。 ![ショーマッカー](/images/posts/schomaker/DSC4256_3.jpg) 専攻が農獣医学部だった店主の清水信孝さんは食品関連、とりわけパンに惹かれていたのだという。学生時代のアルバイトはもっぱらパン屋だったし、卒業後の就職先もドイツ菓子「ユー・ハイム」である。ドイツ系を謳うお菓子とパンの店にいたとき、来店するドイツの人たちがあまりパンを買っていかないのに気づいた。彼らが故郷を懐かしむ味ではないのだろう。本場の味は現地で身につける他はないという強い思いに磁力が働く。ドイツでパン職人として清水さんを受け入れてくれたのは、マイスターの称号をもつショーマッカーの二代目だった。北西部を中心に数店舗の直営店と高級スーパーの棚にも入るパン工場で働けることになったのだ。十数名で日に五千個程を焼くという力技だから、「食」用の美というべきか。異国人でもなく見習いでもない一人の職人として働き、製造マシンのようにひたすらパンをつくり続けたことこそが、かけがえのない経験となった。水と粉の量、力の加減、温度の読み取りなどは教えることも学ぶこともできないからだ。 「五百日の修了書はこの手の裡にありますよ」、清水さんは誇らしげに大きな掌を開いた。 ![ショーマッカー](/images/posts/schomaker/DSC4196.jpg) 清水さんは、ドイツのパン工場での一年半の修業を終え、二〇〇六年、「ショーマッカー」からのれんを分けられた。ドイツの店名ロゴに冠された「ビオ(BIO)・ベッカライ」とは有機のパン屋という意味だという。「ドイツパン以外はつくらない、牛乳、卵、砂糖を使用しない、ドイツへ行く際、焼いたパンを持参して本店のチエックを受ける」ビオを目指す東京店の誕生である。 大岡山に店舗をもったのは、母親の実家が近くだったし、自分も学生時代に住んでいたので、土地の雰囲気には親近感があったからだ。ドイツシューレのスクールバスが通るくらいドイツ人も多い。ドイツ大使館やドイツ料理店が顧客になったのも早かった。 亀戸から買いに来たという男性が話してくれた。十歳の頃、父親の仕事で二年程ドイツに暮らしていたので、ずっと彼の地の味が恋しかった。数年前、はじめて訪れた大岡山で「ベッカライ」の名を発見し、以来熱烈なファンとなったそうである。 パン屋にとって地の利以上に肝心なのがパン種、清水さんが使う酵母はドイツから持ち帰ったサワー種である。温度管理が難しく、繊細で気難しい酵母とは目と鼻で対話する。一日三回の種継ぎも欠かせないルーティンだ。パン屋の朝は早く四時頃から作業をはじめ、五十キロ近くの麦を捏ね、十時くらいまで焼き続ける。二十五種類程のパンを三百個、週末には四百個ほどになる。レジの背後にある工房は決して広くはない。オーブンは大型だが、作業台はコックピットと云えるほど小ぶりで、半身を捻じるだけで手順を進められる。捏ねて成型して焼き上げる一連の動きは見飽きることがない。オーブンから焼きあがったパンのバットが取り出され、どっと台に広げられると、熱気と香りが強く立ち昇る。珈琲店や花店や茶舗等の香りは気分を豊かにしてくれるが、中でも焼き立てのパンの匂いは格別だ。 売切れごめんで、店じまいは商店街の中でも早いほうだ。清水さんは取りおいてあったパンをリュックに詰め、店のトレードマークでもあるオレンジ色の自転車に跨る。明日の朝も早い。

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