ロス・マクドナルドを読むようになったのは、シナリオ学校の田村孟さんに言われたからです。私のシナリオを読んだ田村さんが、フォークナーを読めと言い、同時に、フォークナーが『アブサロム、アブサロム!』の中で「is は was の総体である」——現在は過去の集積である——と書いている、それがロスマクのミステリーにはそういう書き方で出ているから読んでみなさい、と。読んでみたら確かに面白くて、チェーンスモーカーならぬチェーンリーディングという感じで次々に読みました。
ロスマクのファンが挙げるベスト3は『さむけ』『ドルの向こう側』『ウィチャリー家の女』です。私は『さむけ』が一番だと思っていて、今回読み返してもやはり面白かった。当時つけたドッグイヤーがものすごくあって、そこを読み返すと、ああやっぱりここが好きなんだと思う。何十年経っても変わらないものですね。
——私たちは握手した後で、記憶に頼って肖像画を描こうとでもいうように、医者は緊張した視線をゆっくりと私に注いだ。——肖像画を描くために、という人の顔の見方。そして——昔はいつだって現在と繋がっています。——これがいかにも is-was です。
——自己憐憫に曇った眼鏡を外して男は拭き始めた。なにしろこの霧でしょう、車の運転もできやしない。私は視力が弱いものですから、眼鏡がないと貴方と神様との区別もつかんのです。まあ似たようなもんですがね。——男は眼鏡をかけてから、ようやく私の冗談に気が付き、犬が鳴くような短い笑い声を発した。
——歌を忘れたコオロギのように、婦人は小さくなって押し黙り——この比喩が巧い。それから、——ヘレンにとって私は最後のチャンスだった。あるいは忠実な家来と言おうか。砂漠の手前のガソリンスタンドです。砂漠? 愛の砂漠です、愛なき愛の砂漠です。——ここがロスマクらしい。
——私は一早く男の印象をまとめた。曖昧な世界に住む曖昧な性格の男である。なんとなく美男であり、なんとなく途方に暮れた感じで、なんとなく甘やかされ、なんとなくスマートで、なんとなく危険な、なんとなくずくめの男だ。——自分で笑いながら書いているのでしょうね。
木林文庫チャンネル「ミステリーとSFの三選」 1:06 / 2:21 / 13:03 / 13:48 / 14:34 / 15:45

