夢十夜

夏目漱石 新潮社 新潮文庫

夏目漱石『文鳥・夢十夜』新潮文庫。付箋が立っている

二人のお気に入りの三冊を挙げようという回です。私の三冊は年によって変わったりしますが、どんな時にも必ず挙げるのが漱石の『夢十夜』です。

大抵の人が挙げるのは「第三夜」で、これが一番怖いし印象深い。もう一つ挙げるなら私は「第一夜」ですが、人によって違って、真怜は「第六夜」の運慶の話が面白いと言っています。

「第三夜」は、漱石にあたる自分が夜道を子どもを背負って歩いている話です。子どもが「こっちへ行け、あっちへ行け」と指示する。最後がとても恐ろしい。——「おとっさん、その杉の根の処だったね」「うん、そうだ」と思わず答えてしまった。「文化五年辰年だろう」なるほど文化五年辰年らしく思われた。「御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」。

——自分はこの言葉を聞くや否や、今から百年前文化五年の辰年の、こんな闇の晩に、この杉の根で、一人の盲目をころしたと云う自覚が忽然として頭の中に起った。おれはひとごろしであったんだなと始めて気がついた。途端に背中の子が急に石地蔵のように重くなった。目覚めた時は冷や汗をかいていた、という類いの夢ですね。

「第一夜」は全く違う趣で、ラファエル前派の耽美的な絵のような美しい夢です。瀕死の床にある女が「死んだら埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って、そうして天から落ちて来る星の破片を墓標に置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下さい。また逢いに来ますから」と言う。「いつ逢いに来るかね」と聞くと「百年待っていて下さい」。ここでも百年なんですね。

墓のそばで待ち続けて、日が昇ってまた沈んでを繰り返す。ある時、埋めた石のところから花の茎が出てきて咲く。それが百合の花で、蕾が開くところに露がぽたっと落ちる。そこに唇をつけて接吻すると、その途端に星が一つ瞬いて、「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がつく。一つの絵になるような美しい夢の話です。

「死んだら埋めてください、大きな真珠貝で穴を掘って、天から落ちて来る星の破片を墓標に置いて下さい」——武満徹の『鳥は星形の庭に降りる』を想起させます。武満は非常な読書家でイメージをいろんなところから掴む人だから、多分あるでしょうね。

『夢十夜』を、能楽師でワキをやる安田登さんが語るのを聞いたことがあります。彼が語ると本当に恐ろしくて、文字通り背筋が凍る。漱石をやるときは面白い組み合わせをして、最初に『吾輩は猫である』の、お正月に猫が雑煮の餅をかっさらって食べて、歯に挟まって七転八倒するところをやる。彼がジタバタしながらやるのが非常に面白くて、観ている方も笑い転げる。その後に「第三夜」をやるので、落差がすごい。

安田さんと知り合ったのは、アッカド語——メソポタミアの楔形文字——の教室です。私はバビロニアの歴史に興味があって聞きに行き、彼は中国古代の甲骨文字を調べていました。そこで知り合って、漱石を語る素晴らしさに触れたのはとてもラッキーでした。

木林文庫チャンネル「愛読書3選」

私にとっての怖い森の極めつけは、夏目漱石の『夢十夜』の「第三夜」だ。―― 雨は最先から降っている。路はだんだん暗くなる。殆ど夢中である ……

「此処だ、此処だ。丁度その杉の根の処だ」

雨の中で小僧の声は判然聞えた。自分は覚えず留った。何時しか森の中へ這入っていた。一間ばかり先にある黒いものは慥に小僧の云う通り杉の木と見えた。

「御父さん、その杉の根の処だったね」「うん、そうだ」と思わず答えてしまった。

過日、この「第三夜」の朗読を聞いた。語り手は能のワキの方で、その深い声音が森を現前させ聴き入る者を金縛りにした。

館長のコラム「森へなんか行かない」より

この本と結びついている本

夢十夜近藤ようこ

この作品を漫画にしたもの

夢十夜を十夜で高山宏

この作品を十夜かけて読み解いた本

明恵 夢を生きる河合隼雄

鎌倉時代の明恵の『夢記』を、館長は漱石の『夢十夜』と並べて、日本の夢語りの古い例として話している