ボリス・ヴィアンが1947年に書いた小説です。私が読んだのは二十代半ばくらい。これは1972年の版ですが、何回も読んでカバーがボロボロになっています。読んだ当時、40年代に書かれたとは思えないくらいで、パリの今がこういう感じなんだろうという錯覚の中で読んでいました。
パリに行った時に『L'Écume des jours』のフランス語版も、面白いカバーと表紙だったので買ってきました。ボリス・ヴィアンは小説家であり、ジャズのトランペット吹きでもあった。前書きに「人生で大事なのは二つだけしかない。女の子との恋愛と、ニューオーリンズの、デューク・エリントンの音楽だ」と書いています。
パロディーみたいなところもあって、サルトルとも交流があったので、小説に出てくる哲学者は「ジャン゠ソール・パルトル」という、言葉をひっくり返した遊びで出てきます。
パリの金持ちの坊ちゃんが主人公で、華やかな恋模様があるのですが、ある時その恋人が、肺の中に睡蓮の蕾が出てくるという奇病にかかる。結核の象徴でしょう。高価な薬を買い続けるけれど良くならず、どんどん貧乏になって、彼女が瀕死のベッドにいる時はもう自分の部屋がなくて床に寝ている状態になる。
彼女は結局それが元で亡くなり、葬ったあと彼も気が狂ってしまう。川縁の橋のところにハサミを持って佇んで、睡蓮が花を咲かせようとするとチョキンチョキンと切り続ける。睡蓮が恋人の敵だと思っているんですね。
その男の子はハツカネズミを飼っていて、ハツカネズミも見るに耐えなくてじさつしようとする。その方法がヴィアンの想像力で、猫の牙をギロチンにしようと、猫に口を開けさせて首を突っ込む。——「君は頭を僕の口の中に入れて」と猫は言った。「そして待つんだ」「長くかかる?」「誰かが僕の尻尾を踏んづける時までだよ。僕には迅速な反射運動が必要なんだ。でも心配いらないよ、尻尾はぐんと伸ばしきりにしておくからね」。
最後の一行はこうです。「歌をうたいながら、使徒ユリウス孤児院の盲の少女たちが近づいてくるところだった」。つまり、もうすぐ猫の尻尾は踏まれてしまうだろうという。悲しいけれど、パロディーに満ちた恋愛小説です。
木林文庫の本のことを書いた時に、『日々の泡』は恋愛小説の白眉だなんて偉そうに書いていますが、読んでいた当時はそのくらい素晴らしいと思って、これくらいボロボロになるまで読んでしまったということですね。
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