平凡な人々の生活に潜む人生の綾を見つめたチェーホフは「ぼくは文学者にならなかったら、園芸家になっていた気がします」と手紙に書いているほど、自分の住む領地に、嬉々としてこまめに木を植えた人であったという。
代表作の戯曲『桜の園』は、借金のかたに入り、手放さざるをえなくなった領地の森の中の桜の樹が伐採されて幕が下りる。
地主貴族の富の象徴であった桜の樹は、サクランボの樹であるということを、小林清美さんの『チェーホフの庭』で知った。自らの領地で丹精を込めて育てた白く咲き乱れる花と深紅の実のサクランボの樹を、チェーホフは他の作品で墓地の上に植えているのだ。
チェーホフに「森の精(レーシィ)」という作品がある。後に『ワーニャ伯父さん』として改作された4幕の喜劇である。
森はロシア語で「レース」、その主である森にすむ精霊は「レーシィ」として恐れられていた。深い森を切り開く者、森を通って遠くへ旅する人々は森の主に出会った。甲高く笑って人を迷わせ、青みがかった頬の緑の長い髭をたくわえたこの森の支配者は、影がなく、一番高い木の頂きまで届くかと思えば、木の葉の下に隠れることもある。
第1幕で、傷つけられた森を嘆きつつ木を植え続け、村人にレーシィと呼ばれる医師はこう言う。「白樺の若木を植え付けて、それがやがて青々としげり、風にゆれているのを見ると、誇らしさで胸がいっぱいになるのだ」と。
その「レーシィ」をはじめとする森の精霊を宥め、崇拝しながら、スラヴの人々は鋤からスプーンまで、ゆりかごから墓標まで、生活にかかわるすべてを木で作った。
ロシアの諺「森に住めば飢え知らず」―森は生活の糧を得る、豊かな恵みにも満ちていたのだ。
館長のコラム「ロシアの森② 森は創造の泉」より
『桜の園』にはサクランボをいっぱい植える大地主が出てきます。久しぶりに帰ってきて桜が咲いて、真っ白な花が咲き、赤い実が生る。でもその前の真っ白い花は、実がなる前に白いまま凍りついてしまう。幻影のような場面が出てくるんです。結局サクランボって何なんだろう、大収穫って何なんだろう、という反対の主張がだんだん垣間見えてくる。最後は大収穫して豊かになり、それをみんなに配って、それって何なんだろう、というトーンが見えてくる。
木林文庫チャンネル「薔薇を育てた作家たち」