煙の樹

Tree of Smoke

デニス・ジョンソン 藤井光 白水社 2010

『煙の樹』(デニス・ジョンソン著)もまた、木林文庫を始めてから買い求めた本である。ベトナム戦争当時の米軍兵士、在留者、ベトナム人の物語に毎夜少しずつ栞を進めていったのは、読みづらかったからではない。

ハルバースタムの名著『ベスト・アンド・ブライテスト』で、米国支配層の内実は少々学んだけれど、アジアもアメリカもろくすっぽ知らぬまま、ベトナムから遠く離れてベトナム戦争反対、北爆中止と唱えていた日々がフラッシュバックされたからだ。

(「余談ながら、国防長官としてベトナム戦を推進した「優等人間」マクナマラは東京空襲に際して、1500mからの低空爆撃を進言したのだ)

泥沼と呼ばれたベトナムのことは、わずかながら映画で知った。「地獄の黙示録」「ディアハンター」「プラトーン」「フルメタルジャケット」「フォレスト・ガンプ 一期一会」(「ランボー」も?)等々。

この本の主人公のCIA局員の伯父が実に不分明な存在で、「地獄の黙示録」でマーロン・ブランド演じたカーツ大佐を思わせる。いや、誰もが不分明なのだ。そもそも60年代のベトナムの地には強力な磁力場が生じていて、外からここに降り立った者たちはことごとく己の磁針を狂わせたのではなかろうか。

夢遊の人々が群れているような離人症の土地で、すべての行為が空回りしていく。崇高でも醜悪でもない意味を喪った行為の連鎖。本書は大河小説ならぬ、中心の定かでない沼地小説なのだ。「煙の樹」、不思議な言葉だ。不分明で蜃気楼のような言葉だ。

館長のコラム「二つの密林――翻訳長編小説(2)」より