樅の木は残った

山本周五郎 新潮社 新潮文庫 1969

『樅の木は残った』は江戸時代前期の史実「伊達騒動」において、悪玉の権化とされてきた家老の原田甲斐を主人公に据えた、400頁を超える文庫が三冊の長編。お家内の確執に矮小化されてきた事件の真は、雄藩伊達を改易させて盤石の体制を築こうとする徳川幕府中枢と仙台藩との息詰まる暗闘にあったとするのが山本周五郎の捉え方である。

作家の視点を体現する原田甲斐は重厚な造形をなされているが、当然のことながら万次郎のように人好きするタイプではない。誹謗陰謀を際どくやり過ごし、巧妙極まりない奸計の縁を歩き通す者はいくつもの仮面を被ることになるからだ。「私はこういうことには向かない」と苦渋の呟きを漏らしながらも、甲斐は「身を捨つるほどの藩」を護るために末代までの汚名を引き受ける。江戸期、武士が命を懸けるとは文字通りのことであって、身を捨てるのは己一人だけではなく、一族すべての命であった。今様の「政治生命」のように舌先に乗っているものではない。自ら未来を鎖した彼が思いを託すのは、北の領地から江戸屋敷に移し植えた樅の木の成長なのである。

四十年ほど前のNHK大河ドラマの「樅の木は残った」では、平幹二郎が甲斐を演じ、吉田直哉が演出だった。私は吉田の番組演出もエッセイも好きで、金木犀の花を食べてみたのも彼の文に誘われてのことだ。

平の原田甲斐ははまり役だったように記憶している。「三匹の侍」でのニヒルな女好きの浪人より、舞台上のリア王よりキマッテいた。当時この番組も現「平清盛」同様に暗いと云われたそうだ。何故、現スタッフたちは初心を貫かないのだろう。「遊びをせんとや」は単なる飾り文句なのか。

館長のコラム「時代小説の木は何処」より