8 / 8
婚約が破棄されてしまったフェリーツェに捧げられた『判決』という短編があります。なぜ内容的に彼女に捧げられたのか、よく分かりません。
『変身』もそこそこの長さがありますが、最後の最後まで夢の中で苦しんで、最後は家族に蔑ろにされた上に殺されてしまう。夢が悪夢のまま終わるという話です。
ドイツの森というとゲーテの『魔王』です。森の中を行く話で、シューベルトが曲をつけている。子どもが病気になって、父親が早く町の医者に見せようと馬で走る。魔王が子どもを攫おうといろんな幻影を見せて自分の方へ取り込もうとする。父親は「あれは幻だ、木の枝だ」と言いながら必死に走るけれど、町に着いた時にはもう死んでいて、魔王に連れて行かれたという。歌を聴いても怖いし、話を聞いても怖い。あれも森の悪魔の一つの話です。
『夢』と題した短編があります。書き出しがまさにそれで、「ヨーゼフ・Kは夢を見た」で始まる。天気が良かったので散歩しようと思った、そう思ってほんの二歩歩き出したばかりだというのに、もう墓地に来ていた。
カフカが生まれたのは1883年で、フロイトの『夢判断』が出たのは1900年。ちょうど世紀の境目だから、カフカも『夢判断』には興味があったはずですが、日記やいろんな本の中でフロイトに触れた文章はないと言われています。それでいて、夢について書いた文章はものすごく多い。
日本では、先日話した漱石の『夢十夜』がありますが、もっと古い鎌倉時代に明恵というお坊さんが『夢記』という夢日記を書いています。ユングの研究をしていた河合隼雄先生が『明恵 夢を生きる』という本を書いています。
「椿の木の下で」という一編があるので、椿の本に入れました。猫が主人公で、絵としては猫耳をつけた小さな女の子ですが、物語は猫の話です。可愛がられている小さな猫のところへ、主人が捨て猫を拾ってくる。その子がちゃっかりしていて、飼い主が来るとへたっとして「私だめ」という姿を見せ、いないときにはチビにちょっかいを出して虐める。訴えると「あんた嫉妬してるんでしょ」と言われてしまう。巧い描き方です。
話している主体が夢見る人ではなく探検家なので目線は客観的なのですが、お話全体が完全に悪夢の構成です。
金子光晴が『老薔薇園』というのを書いています。金子光晴はなかなかしたたかな人ですから、老薔薇園というくらいで、何千本もあるような薔薇園を歩くのですが、萎れたのが多くて、その中を歩く。美しく咲き誇った薔薇よりもそちらに目が行っている、というような詩です。
文学というと、タイトルからすると最初に浮かぶのは『薔薇の名前』でしょう。でもこれは薔薇そのものの話ではない。何で薔薇なんだっけ、すごく面白かったのに内容を忘れてしまった——僕もそうなんです。この分厚い二巻本を二人とも一気に読んでいるのに。