15冊
変なものの生る木の話で、恐ろしくはないものに「着物のなる木」があります。全集に収められているもので、巌谷小波・久留島武彦・若松賤子という三人のうちの、若松賤子という人が書いています。
ドイツの怖い森で最初に浮かぶのが『ヘンゼルとグレーテル』です。日本でもそうですが、しょっちゅう飢饉に襲われているから、子どもを口減らしのために捨てるということがかなりあったのでしょう。継母が旦那をそそのかす、父親は可哀想だと嫌がる、けれど飢えてどうするのと言われて捨てさせてしまう。実の母ではあんまりだというので、だんだん継母という設定になったと言われます。
怖い森というと、まずダンテの『神曲』の最初の文章を思い出します。地獄篇第一歌。「私たちの人生行路のなかば頃、正しい道をふみはずした私は一つの暗闇の森のなかにいた」。暗闇の森なんですね。「ああ、それを話すのはなんと難しいことか。人手が入ったことのないひどく荒れた森のさまは、思い出すだに恐怖が胸に蘇えってくるようだ。その森の難渋なことは、ほとんど死にも近い」——そう始まる。
水木しげるが遠野物語を描いていて、いくつものエピソードがあります。その中の、森で不思議に出会う話が気に入っています。ちょうど百話目です。
日本の森の怖い話というと『遠野物語』です。幽霊が出てくるというより、暗い森を歩いているとなんとなくもののけが憑いたような気がする、不思議な目に遭う、というのが中心です。
ジークフリートの元になる話は北欧神話、アイスランド・サガなんだそうです。バイキングの時代ですから、かなり大きい。読みましたが、全部が王位を巡るひとごろしの話で、王が前の王を殺して次々と続く殺戮の歴史です。凄まじい。フランク王国のメロヴィング朝の王朝史も読んだことがありますが、それも次から次へと前の王を殺していく話でした。
木林文庫で一番多いのは林檎の本ですが、二番目がどんぐり関係です。確かに多い。その中でも多いのが宮沢賢治の『どんぐりと山猫』で、六冊あるのかな。
薔薇はかなり古くから世界中の人に愛されていて、同じような表現が『ルバイヤート』——ペルシャの詩人ウマル・ハイヤームの文章を集めたもの——の中にあります。朝日に浮かぶ薔薇の蕾、薔薇の綻び、という表現です。もうすぐ咲くという状態が美しいというのは、古今東西みんな思うんだな、と。十一世紀頃のペルシャと言われています。
円卓の騎士でもう一人有名なのがガウェインで、アーサー王の甥にあたります。物語としては荒唐無稽ですが、『指輪物語』のトールキンがまとめている『ガウェインと緑の騎士』があります。
青い花だとそのままのタイトルで、ノヴァーリスの『青い花』があります。あれは幻の花なのですが、ノヴァーリスの文章のほうが、埴谷雄高に比べたらずっと分かりやすい。
「おだんごパン」と同じ話が、「パンぼうや」という名前でも出ています。マーシャ・ブラウンが再話したものだと思います。同じ話なのですが、最後がオオカミに変わっている。いくつか版があるようです。孫もここに来ると林檎のコーナーへ行って、必ず同じ本を取ります。話は繰り返しでも飽きないんですね。
『草子ブックガイド』で草子が古本屋から抜いていく本の中に西行の『山家集』もあります。古本屋の主人は「この子は西行好きなんだ」と言って、西行棚を作ってすぐ目に付くところに置いている。「花の下にて」の有名な歌も出てきます。
藤原定家の『明月記』そのものをきっちり読んだわけではなく、堀田善衞が明月記について書いたこの本で知りました。その第一行が、漢文のような書き出しです。——世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ之ヲ注セズ、紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ。
子どもにせがまれて読んだ絵本は、ロシア語のものが2、3冊しかありません。その一つがこの「おだんごパン」です。ロシア語ではコロボック。おじいさんとおばあさんが丸いパンを作ると、コロボック、コロボックとリズムよく転がって逃げていく。いろんな動物に食べられそうになっては、またね、と逃げていって、最後はキツネがオオカミの鼻の上に乗せて、素晴らしいと言ってパクリと食べてしまう。可愛らしいお話です。子どもたちは喜んでいました。
ウェールズの中世の幻想物語です。中野節子先生が訳されていると気づいて、『木の戦い』の翻訳をお願いしにお尋ねしました。井辻朱美さんも英訳からこの物語を訳されていて、そのご縁で『木の戦い』の翻訳をお引き受けいただきました。