The Tree

The Tree

Judy Hindley ABC / The All Children's Co

『The Tree』になぜ付箋を付けたかというと、Beech——ブナです。エクリで出した『木の戦い』の一番最初が The tops of the beech trees で始まるので、あっと思って。

アメリカの61の風景

アメリカの61の風景

長田弘 みすず書房

長田弘さんの詩とエッセイは、エクリの『空と樹と』にも使わせていただきました。この本では、アメリカを車で旅する話が出てきます。アパラチアでしょうか、怖いくらいに大きな木が続くところを車で走る場面があって、最後にマルクス・アウレリウスの言葉を思い出す。気に入りの文章なので読んでみます。

詩と真実 1942

詩と真実 1942Poésie et vérité 1942

ポール・エリュアール Les Éditions de la Main à Plume

僕は行く前からエリュアールが好きで、エリュアールをたくさん扱っている書店というのは、やはりシュルレアリスムの関係の書店です。リュクサンブール公園の真向かいにあった、ジョゼ・コルティという当時有名な出版書店。ブルトンやエリュアールの時からあった店です。去年行ったらもう無くなっていました。

大きな木の家

大きな木の家

はらだたけひで 冨山房インターナショナル

はらだたけひでさんは、ピロスマニをみんなに知らせることにずっと貢献してきた方です。岩波での映画公開などにも関わっていました。ピロスマニに捧げる詩に絵をつけた、素敵な本です。

白い、白い日

白い、白い日

アルセーニイ・タルコフスキー エクリ

うちがアルセーニイ・タルコフスキー詩集『白い、白い日』を出したすぐ後に朗読会をやりました。ロシア語で読んでもらって、日本語も達者なロシアルーツの方で、歌手だったから声が素晴らしく、リズム感もあって、読む力が抜群でした。三十分ほどずっとロシア語でタルコフスキーの詩を、いくつもいくつも読んでいただいた。

木の戦い

木の戦い

タリエシン エクリ

2013年にエクリから出版した本です。ウェールズ・ケルトの伝説の吟遊詩人タリエシンの詩で、六世紀頃、イギリスではアーサー王が活躍したと言われる年代のものです。アーサー王が亡くなったのが532年とか542年と言われていて、タリエシンは円卓の騎士には名前がありませんが、アーサー王に付き従ったと言われています。当時のケルトは文字を持たなかったとされるので、口承叙事詩です。

Illustrations des œuvres d'Alexandre Blok

Illustrations des œuvres d'Alexandre BlokIllustrations des œuvres d'Alexandre Blok

アレクサンドル・ブローク

パリにムフタール街という、有名な市場のある通りがあります。坂道で、狭いけれどもいろんなお店がある。カルチエ・ラタンから比較的近いので、僕らも結構歩きました。その坂の上の方にある、フランス語の教室で教えてもらったお店で見つけました。

The White GoddessThe White Goddess

ロバート・グレーヴス

The Battle of the Trees の原典を探していた時に辿り着いた本です。アイルランドには、紀元前15世紀頃に渡ってきたブリテン・アイルランドの祖先が、ある女神に率いられて来たという伝承があって、その女神がホワイトゴッデス、白い女神と呼ばれていたそうです。そのタイトルの本の中に、The Battle of the Trees が全部で96行の詩として書かれています。

グランデール

グランデールGrain-d'aile

ポール・エリュアール

パリで見つけて自分で買った絵本が、エリュアールの「グランデール」です。当時それを手書きで翻訳して、お誕生日プレゼントですよ、と言って渡しました。45年前のことです。その本を、30年ぶりくらいにエクリから出版することになりました。

デーモン

デーモンДемон

ミハイル・レールモントフ エクリ

ヴルーベリの挿画による『デーモン』をエクリで出しました。ロシアへ行った時にヴルーベリの画集を買ってきて、『デーモン』を出すときはもちろんデーモンの絵なのですが、その前にとても惹かれたのがライラックの絵でした。一人の女性が座っていて、ライラックの花に囲まれている。

ヘッセ詩集

ヘルマン・ヘッセ 新潮社

『草子ブックガイド』の中で、本についての力強い言葉をこの女の子が読んでいるところがあります。ヘッセの詩集の一節です。

愛

L'amour

ポール・エリュアール

私と佐喜世が同じ本を持っていて、うちに二冊ある本があります。その一つが、エリュアールの恋愛詩集『愛』です。ゴダールもエリュアールが好きで、作品の中で時々引用して朗読しています。

葦

ミハイル・レールモントフ エクリ

レールモントフの小さな詩『葦』もうちで出しました。宇野亜喜良さんの絵で。不遇で亡くなったところに葦が生えて、それが葦笛となり、ある漁師が葦笛を作って吹いてみると、亡くなった女性の声で語り出す。呼び起こすということですね。

神曲

神曲

ダンテ

怖い森というと、まずダンテの『神曲』の最初の文章を思い出します。地獄篇第一歌。「私たちの人生行路のなかば頃、正しい道をふみはずした私は一つの暗闇の森のなかにいた」。暗闇の森なんですね。「ああ、それを話すのはなんと難しいことか。人手が入ったことのないひどく荒れた森のさまは、思い出すだに恐怖が胸に蘇えってくるようだ。その森の難渋なことは、ほとんど死にも近い」——そう始まる。

別冊現代詩手帖 第二号 ルイス・キャロル

別冊現代詩手帖 第二号 ルイス・キャロル

著者不明

アリス関係の書籍とちょっとした小物を並べています。関連の書籍だけでも十冊以上あって、アリスを改めて読み始めたのは大学を出た後で、結構遅いんです。現代詩手帖のルイス・キャロル特集が1972年に出ていて、この頃また興味を持って読み始めました。集めた本のほとんどはその頃のものです。

薔薇 悲歌

薔薇 悲歌

渋沢孝輔

日本では渋沢孝輔の『薔薇 悲歌(エレジー)』。すごく豪華な本で、浮き彫りが入っていて、薔薇のデッサンがあります。この絵も、それにこの字も瀧口修造なんです。瀧口修造はもちろん自分で詩も作品も絵も描く人ですが。

薔薇の詩のアンソロジー

薔薇の詩のアンソロジー

清岡卓行

『薔薇ぐるい』の別冊として、薔薇の詩を集めたアンソロジーがあります。

アフマートヴァ詩集

アフマートヴァ詩集

アンナ・アフマートヴァ

モスクワで、古書店が並ぶ通りを友達に教えてもらって、グーグルマップで訪ねました。その頃『葦』とか、うちのエクリの本を出すために、その著者の本を探していたのね。

アルセーニイ・タルコフスキー詩集(ロシア語版)

アルセーニイ・タルコフスキー詩集(ロシア語版)

アルセーニイ・タルコフスキー

『白い、白い日』のためには、タルコフスキーの妹さんに、その本を出す許可を得るために行きました。「アルセーニイ(タルコフスキー)を出すよ」という話をしていて、許可はすぐ、喜んでと言って出してくださった。

リベルテ(立体絵本)

リベルテ(立体絵本)Liberté

ポール・エリュアール

エリュアールの「リベルテ」では、もう一つ印象的な本があります。これは妻と一緒に旅行した時、別の本屋さんで見つけたもので、立体絵本になっているんです。

ルバイヤート

ウマル・ハイヤーム

薔薇はかなり古くから世界中の人に愛されていて、同じような表現が『ルバイヤート』——ペルシャの詩人ウマル・ハイヤームの文章を集めたもの——の中にあります。朝日に浮かぶ薔薇の蕾、薔薇の綻び、という表現です。もうすぐ咲くという状態が美しいというのは、古今東西みんな思うんだな、と。十一世紀頃のペルシャと言われています。

岩田宏詩集

岩田宏詩集

岩田宏

『さむけ』の訳者は小笠原豊樹さんです。ロシア語でマヤコフスキーを訳し、英語もフランス語もできる。そして詩人でもあって、岩田宏という名義で詩集を出しています。ロス・マクドナルドは「ミステリー界きっての名文家であり、時としてはほとんど詩の領域に接近するほどの高度な散文家であります」と、あとがきに書いている。詩人である人の手になるから、あの訳ができるのだと思います。

荒地

T.S.エリオット

ライラックの詩ですぐ思い浮かぶのは、エリオットの『荒地』の中にある「四月は残酷な月」です。死んだ土からライラックを呼び出し、記憶と欲望をないまぜにし——と続く。イメージとしては死と結びついている。

山家集

西行

草子が抜いていく本の中に西行の『山家集』もあります。古本屋の主人は「この子は西行好きなんだ」と言って、西行棚を作ってすぐ目に付くところに置いている。「花の下にて」の有名な歌も出てきます。

魔王Erlkönig

ゲーテ

ドイツの森というとゲーテの『魔王』です。森の中を行く話で、シューベルトが曲をつけている。子どもが病気になって、父親が早く町の医者に見せようと馬で走る。魔王が子どもを攫おうといろんな幻影を見せて自分の方へ取り込もうとする。父親は「あれは幻だ、木の枝だ」と言いながら必死に走るけれど、町に着いた時にはもう死んでいて、魔王に連れて行かれたという。歌を聴いても怖いし、話を聞いても怖い。あれも森の悪魔の一つの話です。

老薔薇園

老薔薇園

金子光晴

金子光晴が『老薔薇園』というのを書いています。金子光晴はなかなかしたたかな人ですから、老薔薇園というくらいで、何千本もあるような薔薇園を歩くのですが、萎れたのが多くて、その中を歩く。美しく咲き誇った薔薇よりもそちらに目が行っている、というような詩です。