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まさにライラックバスというので、珍しいと思って手に入れてもらいました。自分でバスを仕立てて、ダブリンで働いている同じ村の人たちを毎週土曜の五時半頃に集めて、夜十時前に着くように送り届ける。その中に毎週同じ人が乗ってくる。
本としてはタイトルから『リュシェンヌに薔薇を』。書いたのはローラン・トポール、フランス語で書く作家で、出自はポーランドでしょうか。一時すごく評判になって、どういう話か分からなくて読みました。フランス語で書いてあるのに、このタイトルだけ英語になっているんです。
『リラの花咲くけものみち』。北海道の話で、獣医さんの話でしょうか。テレビになったのかもしれません。
リラの本は木林文庫に何冊かありますが、その一冊が文字通り『リラの頃、カサブランカへ』。小川国夫の初期も初期で、彼は自分でこの本のことを捨て石だと書いています。習作以前の習作くらいの位置づけらしい。
薔薇はかなり古くから世界中の人に愛されていて、同じような表現が『ルバイヤート』——ペルシャの詩人ウマル・ハイヤームの文章を集めたもの——の中にあります。朝日に浮かぶ薔薇の蕾、薔薇の綻び、という表現です。もうすぐ咲くという状態が美しいというのは、古今東西みんな思うんだな、と。十一世紀頃のペルシャと言われています。
チェーホフの『ワーニャ伯父さん』という戯曲がありますが、あれは元は『レーシー』——森の主、森の精霊というタイトルで最初に書かれたものを改作したのだそうです。レーシーだとひねり過ぎている感じがあったのでしょうか。
私と佐喜世が同じ本を持っていて、うちに二冊ある本があります。その一つが、エリュアールの恋愛詩集『愛』です。ゴダールもエリュアールが好きで、作品の中で時々引用して朗読しています。
森というのは、妖怪だとかお化けだとか、怖いものが跋扈するイメージがあるでしょう。だから今日は、森の中のそういう妖怪の類いの本の話をしようと思って、いくつか集めてみました。
若冲の薔薇が素晴らしい。『薔薇小禽図』、薔薇と——雀ではないと思いますが、なんとなくシジュウカラっぽい鳥。この絵に限らず、若冲の作品を大々的にたくさん観たのはこれが初めてでした。江戸期の絵は、花もどこか幻想的なものになりますね。
フランスのSFです。タイトルのとおり不思議な作りで、こういう作り方もSFにあるのかと思いました。
ベスト3の次の3として挙げられることが多い一冊で、今回初めて読みました。ただ残念ながら、私には人間関係がゴタつきすぎていて読みづらかった。推理小説はそういうものですが、それにしても、と。登場人物の一覧に何度も戻りました。ロシア文学は平気だったのですが。
松浦さんは当時の出世コースから外れて山小屋の主人になった人です。訪ねてくる同級生はエリートコースを歩んでいたし、学校の教授になられた方もいる。なぜ山小屋を始めたんだろう、と思います。こういう生き方を見ると、今読んでいる『暇と退屈の倫理学』が身に沁みますね。
『さむけ』の訳者は小笠原豊樹さんです。ロシア語でマヤコフスキーを訳し、英語もフランス語もできる。そして詩人でもあって、岩田宏という名義で詩集を出しています。ロス・マクドナルドは「ミステリー界きっての名文家であり、時としてはほとんど詩の領域に接近するほどの高度な散文家であります」と、あとがきに書いている。詩人である人の手になるから、あの訳ができるのだと思います。
日露戦争・日清戦争のころの話で、まだ田舎では牛や馬を引いて荷物を運んでいた時代です。そこに椿の木があって、牛や馬を繋いでおくと葉を食べられて枯れてしまう。それがもとで木を植え替えるという童話です。読んだあと、これは教科書に採用されて感想文を書かされるんだろうな、と思うような内容でした。
一生懸命思い出して浮かんだ本の一つが、オスカー・ワイルドの「幸福の王子」です。なぜか母がこの話を好きで、繰り返し読んでくれました。ツバメが南の国へ旅立たなくてはならないと言うと、王子はもう少しこの町の貧しい人を助けたいと言って、身に貼ってあった金を一枚ずつ剥がし、剣のルビーを外し、最後は自分の眼まで取ってしまう。ただの銅像になったとき、王子は倒れ、ツバメも寒さの中で一緒に昇天する。
ライラックの詩ですぐ思い浮かぶのは、エリオットの『荒地』の中にある「四月は残酷な月」です。死んだ土からライラックを呼び出し、記憶と欲望をないまぜにし——と続く。イメージとしては死と結びついている。
古井由吉の比較的初期の作品です。冒頭の一行——「その日のうちに姉はこの世の人ではなかった」。姉と弟の、近親相姦に近いような心の動きを描いた小説ですが、この一行が読んだときからずっと気になって、いつまでも残りました。
『桜の園』にはサクランボをいっぱい植える大地主が出てきます。久しぶりに帰ってきて桜が咲いて、真っ白な花が咲き、赤い実が生る。でもその前の真っ白い花は、実がなる前に白いまま凍りついてしまう。幻影のような場面が出てくるんです。結局サクランボって何なんだろう、大収穫って何なんだろう、という反対の主張がだんだん垣間見えてくる。最後は大収穫して豊かになり、それをみんなに配って、それって何なんだろう、というトーンが見えてくる。
中国のSFと聞いただけで不思議な気がしましたが、面白かった。木林文庫にいらっしゃる方にも読んでいる人が多いですね。なぜここに置いてあるかというと、『暗黒森林』というサブタイトルの巻があるからです。それで木の棚に置いてあります。
葉室麟の小説は割と好きで、全部が時代小説です。名前のとおり生き様が凛としていて、流されない。藩の抗争に巻き込まれるという時代小説のパターンなのですが、その中でも自分を律してどちらにも流されない。
高齢の老人と一緒に住んでいる女の子の話で、老人が弱っていき、最期に遺言のように残す言葉があります。——にんげんはこれからうまれてしぬことをくりかえしてなにになるのでせうか。ひとはむらさきをさがしているのでせうが、いつでもそのかはりをみつけ、まんぞくしてしんでいきます。だからどんなにいっしょうけんめいになっても、どこかにさみしさがのこるのかもしれません。
僕らが学生の頃——五十数年前、六十年ぐらい前ですが——ドイツ文学のヘッセは割とポピュラーでした。松浦さんたちの時代はもっと前、戦前ですけれど。特に『車輪の下』は必読書というか、必ず五本の指に入る作家でした。時代が少し下がった我々でも、ヘッセは必ず読んでいた。
一輪の薔薇というと最初に浮かぶのが『星の王子さま』です。最初に星にいる時、薔薇が一輪だけあって、ものすごくわがまま。「私は世界に一本よ」と言って、風邪をひくから風が吹いた時は囲ってとか、注文ばかり多い。わがままな女性の象徴のような薔薇で、それでも一生懸命お水をあげるんですね。
青い花だとそのままのタイトルで、ノヴァーリスの『青い花』があります。あれは幻の花なのですが、ノヴァーリスの文章のほうが、埴谷雄高に比べたらずっと分かりやすい。