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ブルーノ・ムナーリのこの本はちょっと変わり種で、面白い装丁なので木林文庫の玄関に置いてあります。ムナーリはイタリア人ですが、「木」というこの漢字に出会ったとき、こんなにシンプルな形で木を表していて、見れば木だと分かることにとても感心したそうです。彼はデザイナーですから、そこからいろんなデザインの発想を考えていった。
モスクワの古書店の後、何軒か周りました。ちょうど昼休みでどうしようかなと思ったけれど、ダメ元でピンポンしたら、若い女性が二人出てきてくれて、どうぞどうぞ、ようこそって。ロシアは時間が来るとバシャっと閉めると聞いていたから、その真逆でした。
南米の作家ボルヘスの『幻獣辞典』は、奇妙な動物ばかりを集めた本です。その中にも、動物界と植物界を融合した生物がいるという話があって、羊の生る木のことが引用されています。
グアテマラの作家アストゥリアスの伝説集です。「火山の伝説」という話の書き出しがこうです。——六人の男が「樹の国」に住みついた。風に運ばれてきた三人と、川を流れてきた三人である。そのうち姿が見えたのは三人だけで、あとの三人は水のなかに隠れており、風に運ばれてきた男たちが山から水を飲みに降りてきたときにのみ、彼らの姿を見たのである。——「六人の男が樹の国に住みついた」。いい書き出しだと思います。
『木々は八月に何をするのか』はフィンランドの現代作家クルーンの短編集で、書名を含む七つの短編で構成されている。「木々は八月に何をするのか、花の知識はどこにあるのか、時の時計は何か」と矢継ぎ早に突きつけられた質問とともにボタニカル・ガーデンを踏み迷う青年。「植物の神秘生活」を巡る探究の、異界への旅行記とも云うべき寓話だ。
『木のぼりの詩』は画家、安野光雅の故郷津和野での少年時代を描いた画文集である。豊かな日々の最初に掲げられたのがタイトルとなった木のぼりのエピソード。
『ひとたびはポプラに臥す』は作家、宮本輝が中国の西安からパキスタンのイスラマバードまでの約七千キロを旅した紀行文。「ポプラは暑さ寒さに強く、旱魃に強いので、ポプラの植樹こそが砂漠の浸食に勝つ方法だという」とあるのを読み、ポプラを札幌やパリにのみ結び付けていた愚かしさに気づかされた。
木林文庫を始める前から持っていた本です。買った場所をなぜか覚えていて、学芸大学にかつてあった双葉書店——今は薬屋になってしまいましたが——その棚から手に取りました。面白そうだな、というだけの理由でした。
木と林に関わるコミックの一冊、『旅人の樹』。これも良いタイトルだと思います。同じく林の字が入るものでは、塩森恵子さんの『希林館通り』——希望の希と林で希林館、アパートか何かの話だったと思います——もあります。
木に妙なものが生ってしまうという話には、子ども向けのものもあれば古い言い伝えもあって、いろいろな種類があるのが楽しいのですが、その一冊が佐々木マキさんの絵本『くまの木をさがしに』です。可愛らしくて、もともと佐々木マキの絵本は好きなのですけれど、これは特に気に入っています。
大きな木というタイトルの本は「木」一字と同じくらいあるのですが、印象に残っていて今でも時々読み返すのがこの一冊です。絵も文も佐野洋子さん。家に大きな木があるおじさんが、何にでも文句をつける。鳥が来るとうるさくて朝寝られない、覚えていろよ。洗濯物が乾かない、覚えていろよ。ハンモックで昼寝すると毛虫が落ちてくる、覚えていろよ。とうとう切り倒してしまいます。
「大地に張った根をみずから抜く樹」の話を二冊と一冊、ご紹介しよう。
『樅の木は残った』は江戸時代前期の史実「伊達騒動」において、悪玉の権化とされてきた家老の原田甲斐を主人公に据えた、400頁を超える文庫が三冊の長編。お家内の確執に矮小化されてきた事件の真は、雄藩伊達を改易させて盤石の体制を築こうとする徳川幕府中枢と仙台藩との息詰まる暗闘にあったとするのが山本周五郎の捉え方である。
似たタイトルの本『木の声がきこえる 樹医の診療日記』(山野忠彦著)がある。樹木医の資格認定が始まったのが1991年、それより前の1989年の刊行。
変なものの生る木の話で、恐ろしくはないものに「着物のなる木」があります。全集に収められているもので、巌谷小波・久留島武彦・若松賤子という三人のうちの、若松賤子という人が書いています。
手塚治虫の『陽だまりの樹』。文庫本のカバーは当時撮られた写真です。これは勝海舟で、咸臨丸でアメリカに行った1860年——万延元年に撮られた写真だそうです。これは福沢諭吉で、遣欧使節でヨーロッパに行った時にパリで撮られたもの。全部で八巻か九巻あって、幕末から明治初期にかけての写真が使われています。
ワクワクの木と似たような物語が『西遊記』にもあります。旅の途中に子どもの生っている木があって、その実はとても不思議な実です。中国ですから単位がものすごく長くて、三千年かけて花が咲き、次の三千年で実が生って、熟するのにまた三千年かかる。約一万年かけてようやく食べられる実になるのですが、ひとたび食べると四万六千年ほど長生きするという実です。
好きなコミック作家、諸星大二郎の『夢の木の下で』です。彼は『西遊妖猿伝』という西遊記をもとにしたコミックを今も連載しています。
カエルも木にのぼる。水上勉の長編童話、『ブンナよ、木からおりてこい』は舞台で上演され、アニメーション映画にもなっているので、物語を知っている人は少なくないかもしれない。私も舞台の録画をテレビで見たのが初めだったように記憶している。
杉浦日向子さんの『百日紅』。分厚い三巻本です。葛飾北斎とその娘のお栄——筆名は応為と名乗っています——の親子の話で、そこに高名な浮世絵師の英泉を加えた三人の物語になっています。
『白樫の樹の下で』は若手俳優を配したTVの青春時代劇を思わせるストーリーである。「自分さがし」などという逃げ道をあらかじめ封じられていた時代の鬱屈や縛りは感じられず、剣道場帰りの下級武士の青年たちは部活帰りの高校生みたいに見える。若者の振る舞いは爽やかで、恋路は苦い。青春物は脇目もふらず息つかず一気に読み通すのが良い。
バオバブの姿は、今ではテグジュペリの絵より、ツアーに誘う夕陽を受けた並木のシルエット写真の方がポピュラーかもしれない。そのバオバブツアーが組まれるマダガスカル島などの話を集めたのが『バオバブのお嫁さま マダガスカルのむかしばなし』(川崎奈月 編訳・絵)。彩色豊かな挿絵が楽しい本だ。
前回の木登りの本は、嫉妬に狂った男の話ばかりで重かったので、今回はコミックから始めます。大島弓子さんの『すいーん星旅行記』の中に木登りの話があって、私にとっても好きな場面です。——私は高い木に登りました。どんどん下の世界が変わって見えます。降りる時になって、木登りは降りる時の方が百倍難しいことが分かりました。足も手も震えました。あの男の子が登ってきて順に降り方を見せてくれなかったら、私は一生あの木の上にいなければならなかったでしょう。——これは体験的にとてもよく分かります。降りるのは確かに怖いし、大変なのです。
大島弓子さんは木登り少女だったらしく、「夏のおわりのト短調」という短い話にこう書いています。——木は子どもを高みへ高みへと登らせる崇高な魂があると思う。——崇高というのはすごい言葉ですが、やはりひとたび登り始めると、どんどん高く登りたくなるのです。