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アリスについて言及している人を二つだけ挙げます。一つは宮沢賢治で、これを知った時は意外でした。『注文の多い料理店』の広告ビラに書かれた文章です。
石牟礼道子さんというと水俣が印象的で、『苦海浄土』の恐ろしい記述が頭に浮かびます。これは彼女がまだ四、五歳の幼女だった頃のことを書いたもので、記憶力がよく、耳もよかったのでしょう、おばさんたちの話を聞いて覚えていたことを書き起こしている。それがすごく美しい。
写真家の上田義彦さんが、同名の映画『椿の庭』を撮っていて、その気に入った場面をスチール写真にした写真集です。葉山の、海の見える古い木造家屋に住む女性の話で、まもなくその家を手放すという直前の物語。映画は観ていないのですが、この写真集を見て、観たら素晴らしかっただろうなと思いました。
梨木香歩さんは不思議なタイトルを付ける方です。カバーの絵も古代の海幸彦・山幸彦を使っていて、登場人物の名前もそう。いかにも古事記っぽいタイトルなのですが、場所は大和のあたりかと思ったらそうでもなく、シュロの木が生えているような土地を訪ねていく。
藤原定家の『明月記』そのものをきっちり読んだわけではなく、堀田善衞が明月記について書いたこの本で知りました。その第一行が、漢文のような書き出しです。——世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ之ヲ注セズ、紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ。
短編でよく読まれるものに『田舎医者』があります。村に一軒しかない医者が呼び出しを受けるけれど、馬車が壊れて馬もいなくなっている。どうしようもないので小屋のドアを開けると、その瞬間もう患者の家の前に来ていた。これも夢の構造です。
婚約が破棄されてしまったフェリーツェに捧げられた『判決』という短編があります。なぜ内容的に彼女に捧げられたのか、よく分かりません。
『変身』もそこそこの長さがありますが、最後の最後まで夢の中で苦しんで、最後は家族に蔑ろにされた上に殺されてしまう。夢が悪夢のまま終わるという話です。
ドイツの森というとゲーテの『魔王』です。森の中を行く話で、シューベルトが曲をつけている。子どもが病気になって、父親が早く町の医者に見せようと馬で走る。魔王が子どもを攫おうといろんな幻影を見せて自分の方へ取り込もうとする。父親は「あれは幻だ、木の枝だ」と言いながら必死に走るけれど、町に着いた時にはもう死んでいて、魔王に連れて行かれたという。歌を聴いても怖いし、話を聞いても怖い。あれも森の悪魔の一つの話です。
『夢』と題した短編があります。書き出しがまさにそれで、「ヨーゼフ・Kは夢を見た」で始まる。天気が良かったので散歩しようと思った、そう思ってほんの二歩歩き出したばかりだというのに、もう墓地に来ていた。
カフカが生まれたのは1883年で、フロイトの『夢判断』が出たのは1900年。ちょうど世紀の境目だから、カフカも『夢判断』には興味があったはずですが、日記やいろんな本の中でフロイトに触れた文章はないと言われています。それでいて、夢について書いた文章はものすごく多い。
日本では、先日話した漱石の『夢十夜』がありますが、もっと古い鎌倉時代に明恵というお坊さんが『夢記』という夢日記を書いています。ユングの研究をしていた河合隼雄先生が『明恵 夢を生きる』という本を書いています。
「椿の木の下で」という一編があるので、椿の本に入れました。猫が主人公で、絵としては猫耳をつけた小さな女の子ですが、物語は猫の話です。可愛がられている小さな猫のところへ、主人が捨て猫を拾ってくる。その子がちゃっかりしていて、飼い主が来るとへたっとして「私だめ」という姿を見せ、いないときにはチビにちょっかいを出して虐める。訴えると「あんた嫉妬してるんでしょ」と言われてしまう。巧い描き方です。
話している主体が夢見る人ではなく探検家なので目線は客観的なのですが、お話全体が完全に悪夢の構成です。
金子光晴が『老薔薇園』というのを書いています。金子光晴はなかなかしたたかな人ですから、老薔薇園というくらいで、何千本もあるような薔薇園を歩くのですが、萎れたのが多くて、その中を歩く。美しく咲き誇った薔薇よりもそちらに目が行っている、というような詩です。
文学というと、タイトルからすると最初に浮かぶのは『薔薇の名前』でしょう。でもこれは薔薇そのものの話ではない。何で薔薇なんだっけ、すごく面白かったのに内容を忘れてしまった——僕もそうなんです。この分厚い二巻本を二人とも一気に読んでいるのに。