薔薇

巨岩と花びら

巨岩と花びら

舟越保武 1982

ベアトリーチェは恋の象徴のように絵になっていて、一番有名なのがロセッティです。ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティといって、ダンテという名前が付いているんですね。ダンテの肖像画は残っていますが、ベアトリーチェは残っていないので、みんな想像で描くわけです。

薔薇 悲歌

薔薇 悲歌

渋沢孝輔 1983

日本では渋沢孝輔の『薔薇 悲歌(エレジー)』。すごく豪華な本で、浮き彫りが入っていて、薔薇のデッサンがあります。この絵も、それにこの字も瀧口修造なんです。瀧口修造はもちろん自分で詩も作品も絵も描く人ですが。

チェーホフの庭

チェーホフの庭

小林清美 群像社 2004

チェーホフは「私は文学者にならなかったら、園芸家になったような気がします」といつも言っていました。「私の夢は薔薇を植えて、誰にも会わないで、小さな作品を書くことです」と。

薔薇ぐるい

薔薇ぐるい

清岡卓行 1982

四月の末に、うちの新しい本の展示をするので白金へ行った時、途中の道に一輪だけ薔薇が咲きかけていました。それを見て、やっぱり薔薇は綺麗だなと。普通の家の垣根で、それも一輪だけ、ちょっとピンクがかった白い薔薇でした。

椿

椿の庭

椿の庭

上田義彦 2020

写真家の上田義彦さんが、同名の映画『椿の庭』を撮っていて、その気に入った場面をスチール写真にした写真集です。葉山の、海の見える古い木造家屋に住む女性の話で、まもなくその家を手放すという直前の物語。映画は観ていないのですが、この写真集を見て、観たら素晴らしかっただろうなと思いました。

牛をつないだ椿の木

牛をつないだ椿の木

新美南吉 金の星社 1946

日露戦争・日清戦争のころの話で、まだ田舎では牛や馬を引いて荷物を運んでいた時代です。そこに椿の木があって、牛や馬を繋いでおくと葉を食べられて枯れてしまう。それがもとで木を植え替えるという童話です。読んだあと、これは教科書に採用されて感想文を書かされるんだろうな、と思うような内容でした。

椿の海の記

椿の海の記

石牟礼道子 河出文庫 1976

石牟礼道子さんというと水俣が印象的で、『苦海浄土』の恐ろしい記述が頭に浮かびます。これは彼女がまだ四、五歳の幼女だった頃のことを書いたもので、記憶力がよく、耳もよかったのでしょう、おばさんたちの話を聞いて覚えていたことを書き起こしている。それがすごく美しい。

綿の国星

綿の国星

大島弓子 白泉社

「椿の木の下で」という一編があるので、椿の本に入れました。猫が主人公で、絵としては猫耳をつけた小さな女の子ですが、物語は猫の話です。可愛がられている小さな猫のところへ、主人が捨て猫を拾ってくる。その子がちゃっかりしていて、飼い主が来るとへたっとして「私だめ」という姿を見せ、いないときにはチビにちょっかいを出して虐める。訴えると「あんた嫉妬してるんでしょ」と言われてしまう。巧い描き方です。

椿と花水木

椿と花水木

津本陽 読売新聞社 1994

『椿と花水木』は中浜・ジョン万次郎の伝記小説である。万次郎の生涯を貫く日米の友情と愛の象徴として椿と花水木(ドッグウッド)の二本の花木が上げられており、作者は万次郎に「男の子ならドッグウッド。女の子ならカミーリア(椿)じゃ」と云わせて、こう書いている。「万次郎はアメリカと日本でもっともなつかしい樹の名をひとつずつ告げた」

ツバキ

ツバキ

有岡利幸

「ものと人間の文化史」シリーズの一冊です。椿が日本史の中でどう扱われてきたかを書いていて、木として一番愛されたのは江戸時代だとあります。将軍が椿を好んだので、江戸期にはずいぶんもてはやされた。牡丹などもそうですね。椿全般を知るには非常に役立つ本です。著者の有岡さんは、植物を文化史的な視点でいろいろ書かれている方です。

散り椿

散り椿

葉室麟 角川文庫 2012

葉室麟の小説は割と好きで、全部が時代小説です。名前のとおり生き様が凛としていて、流されない。藩の抗争に巻き込まれるという時代小説のパターンなのですが、その中でも自分を律してどちらにも流されない。

椿宿の辺りに

椿宿の辺りに

梨木香歩 2019

梨木香歩さんは不思議なタイトルを付ける方です。カバーの絵も古代の海幸彦・山幸彦を使っていて、登場人物の名前もそう。いかにも古事記っぽいタイトルなのですが、場所は大和のあたりかと思ったらそうでもなく、シュロの木が生えているような土地を訪ねていく。

柿

木練柿

あさのあつこ 光文社 2009

『バッテリー』の著者あさのあつこが書いた時代小説『木練柿』。恥ずかしながらルビ(こねりがき)なしでは読めないタイトルだ。シリーズの三作目から読んでしまったせいなのか、この短編からは主人公の人物設定がつかみきれない。というより、無理にこねられたように見えてしまう。しかしそれは、第一作目を読んでから判断すべきだろう。

ざぼんじいさんのかきのき

すとうあさえ 岩崎書店 2000

「早く芽を出せ、柿の種」。柿の独り占めといえば、「サルカニ合戦」だが、『ざぼんじいさんのかきのき』(すとうあさえ・文/織茂恭子・絵)は独り占め爺さんと、その強欲ぶりをひらりひらりとかわすメアリー・ポピンズのごときお婆さんとの掛け合い絵本。憎めないざぼんじいさんの顔が良い。

柿の木

宮崎学 偕成社 2006

宮崎学の写真集『柿の木』は信州伊那谷にある樹齢八十年ほどの柿の木の四季を撮ったものだ。我知らず、この木のたたずまいを当てはめながら、『柿の木のある家』を読み進めていた。丘の上に一つだけ守り残されたという木は丈高く伸びやかで、季節それぞれの美しさを見せているからだろう。ここからは小声で言う「新緑はかつてのわが家の庭こそ」と。

あたまにかきの木

小沢正 教育画劇 1998

絵本の『あたまにかきの木』(小沢正・文/田島征三・絵)は落語の「あたま山」の同工で桜のかわりに頭から柿の木が生えてくるというストーリー。もちろん、「あたま山」の天外なオチとは違って、いたっておとなしく目出度しめでたし。

柿の木のある家

壺井栄

『柿の木のある家』は童話作家、壺井栄の短編である。代表作と云われる『二十四の瞳』も木下恵介の映画で見ただけで、壺井の作品をはじめて読んだ。ここに登場する柿が大好物のおじさんの様子はちょっとM君を髣髴させる。みかん、桃、なし、ぶどう、いちじく、あんずと、たくさんの木がこのおじさんの庭では育てられているのに、何故か柿の木が植わっていないのだ。この童話で描かれている子どもたちの心映え、家族や親族とのやりとり、そして風景などは私たちから失われて久しいことのように思われた。「お話」であって、ノスタルジーはないからだ。

ライラック

荒地

T.S.エリオット 1952

ライラックの詩ですぐ思い浮かぶのは、エリオットの『荒地』の中にある「四月は残酷な月」です。死んだ土からライラックを呼び出し、記憶と欲望をないまぜにし——と続く。イメージとしては死と結びついている。

白い、白い日

白い、白い日

アルセーニイ・タルコフスキー エクリ 2011

うちがアルセーニイ・タルコフスキー詩集『白い、白い日』を出したすぐ後に朗読会をやりました。ロシア語で読んでもらって、日本語も達者なロシアルーツの方で、歌手だったから声が素晴らしく、リズム感もあって、読む力が抜群でした。三十分ほどずっとロシア語でタルコフスキーの詩を、いくつもいくつも読んでいただいた。

ВРУБЕЛЬ

ВРУБЕЛЬ

ミハイル・ヴルーベリ

ロシアへ行った時に買ってきた画集です。この中のライラックの絵に惹かれました。

デーモン

デーモンДемон

ミハイル・レールモントフ エクリ

ヴルーベリの挿画による『デーモン』をエクリで出しました。ロシアへ行った時にヴルーベリの画集を買ってきて、『デーモン』を出すときはもちろんデーモンの絵なのですが、その前にとても惹かれたのがライラックの絵でした。一人の女性が座っていて、ライラックの花に囲まれている。

ライラック・バス

ライラック・バスThe Lilac Bus

メイヴ・ビンチー 青山出版社 1984

まさにライラックバスというので、珍しいと思って手に入れてもらいました。自分でバスを仕立てて、ダブリンで働いている同じ村の人たちを毎週土曜の五時半頃に集めて、夜十時前に着くように送り届ける。その中に毎週同じ人が乗ってくる。

ライラック通りのぼうし屋

ライラック通りのぼうし屋

安房直子 岩崎書店 1975

『ライラック通りのぼうし屋』(安房直子)は、今では花が咲かなくなって久しいライラック並木に店をかまえる年老いた帽子屋が主人公の童話である。ある晩、羊が訪ねてきて、自分の毛を刈ってできるだけたくさんの帽子をつくってもらいたいと注文するのだ。不思議な話の起こし方に黙ってついて行く。面白そうなので、どんどんついていきたくなる。

リラの頃、カサブランカへ

リラの頃、カサブランカへ

小川国夫 1972

リラの本は木林文庫に何冊かありますが、その一冊が文字通り『リラの頃、カサブランカへ』。小川国夫の初期も初期で、彼は自分でこの本のことを捨て石だと書いています。習作以前の習作くらいの位置づけらしい。